ジーマ船長

ジーマ船長の 痛快!!「船内は時化模様」

【第十七回】七の七十倍まで

聖書「マタイ福音書」に次のくだりがある。マタイ18章22節、「そのときペトロがイエスのところに来て言った。『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回まで赦(ゆる)すべきでしょうか。七回までですか』。イエスは言われた。『あなたに言っておく、七回どころか七の七十倍までも赦しなさい』」。

イエスの一番弟子で元漁師のペトロは、当時の状況に合わせて「七回くらいまでは人を赦すべきなのかなあ」と多めに言ったのに対し、イエスの答えはそれを遙かに上回るものだった。まるで「いくらでも赦しなさい」と言っているような話しである。

 「人を赦すということに際限はない。あなたが罪を犯して本当に悪かったと考えたら、きっと赦してもらいたいと思うはずである。いくらでも赦しなさい。それがわたしの新しい掟(おきて)だ」とイエスは言ったのである。

しかし、これを凡人が履行するのはちょっと難しい。「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい」と教えたのもイエスであるが、これも同様に厳しく難しい掟である。

敬虔(けいけん)なクリスチャンを自負する吾輩とて人の子である。こんなことは絶対できない。聖書には「目には目を、歯には歯を」とも書かれてあるではないか。やられたらやり返す、これは正しいことだと信じてきた。皆さんはどう思われるだろうか。人の失敗や間違いを寛大に赦すことは並大抵のことではない。それは、吾輩が要職に就いてから知ったことだが、部下の小さな失敗(ミス)までよく見えてきて、これがまた難しいのだ。

今では船・機長のみ日本人という混乗船が大半を占めるわが国外航海運。これまでの日本人だけの船では考えられない事態が発生している。

例えば、山出しメスルームボーイのほとんどが地方の商船大卒なのだが、「旗を揚げて来い」と言えば半旗にしてしまったり、「テーブルを拭け」と言うと、床拭き用のモップでも平気だったりする。また、三航士の三割は分数計算や比例部分の計算ができない。その都度丁寧(ていねい)に教えているが、これがまた忍耐がいるのである。

こうしたことはほんの一例に過ぎない。われわれ日本人の常識をはるかに超える輩(やから)が何と多いことか。しかし、最近の吾輩は「十字を切る」ようになって、部下のある程度のミスは赦すというか、寛大に受け入れられるようになったのだから不思議である。

サッカーの試合で南米の選手がゴールを決めると、天を仰いだり投げキッスして、胸に下げた十字架をさわりながら十字を切る。あれである。この祈りは極めて素直な神への感謝の気持ちを表している。シンプルだが重要な祈りなのだ。

両親がカトリック信者だったことから、吾輩は赤子の時に洗礼を授かった。そんな関係でこれまで何千回となく十字を切るうちに、その行為により「神を見てしまうというか、向いてしまう」ことが条件反射的に起こるのだ。十字を切ることで人に優しくなれるとも言えるし、十字架への隠れた畏敬の念が頭をもたげるせいであろう。

最近の吾輩は、船内でトラブルが発生すると心の中で十字を切り、イエスの言葉「七の七十倍まで」を思い起こすことにしている。いつもヘマする三航士も相応の努力はしているのであろう。すでに3回も同じミスをやらかした甲板手だが、次回はぜひ気をつけてほしいものだ。「煮付けの味はかなり濃かったかなあ~チーフコック、次回からはもう少しライト・テイストでね」といように、ソフトな物言いでクルーたちと接するようにしている。

人はミスをした時には、誰しも自責の念にかられるものだ。一見、反省の色すら感じられない人であっても、その実、心中はかなり動揺しているものではないだろうか。吾輩は、どんな極悪人でもいくらかの良心を持っていると信じている。

良く言われる言葉に「自分に甘く、他人に厳しい」がある。これは「笑ってごまかす自分の欠点、とことん追及する他人の欠点」に通じるものと思う。

ほとんどトップダウンで仕事が進む船内では、欠点をとことん追及していくと、その人間をかなり危険な精神状態にまで追い込んでしまうことになる。

船内は、孤立した鉄の箱であり、男所帯のむさ苦しい世界だから、どうしても技術的にも人間的にも優劣がはっきりしてしまうことは否めない。また、すべてに自己完結性が求められることからも、イエスマンが重宝がられる傾向がある。

吾輩の若かりし頃は、不条理な事柄を軽くいなすことができず、よく「ノー」といって上司と衝突したものだ。なまいきな奴といじめを受けたこともしばしばであった。

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そんな経験もあって、部下を怒る場面では十字を切り、「七の七十倍まで」と呪文のように唱えることにしているのだ。

穏やかに諌(いさ)められたクルーは、「船長は、私のことを思ってくれている」と感じることによって、ミスを犯した後、それまで以上の強い信頼関係が保てるのである。一度できたクルーとの絆は確固たるものとなり、そう簡単にゆらいだり崩れたりすることはなくなるのである。信頼関係が結ばれれば仕事はいたってスムーズである。

十字を切る行為は、キリスト教信者に限られるだろうが、「七の七十倍まで」という心の持ち様は誰もが理解できよう。念仏を唱えるように、思い浮かべるだけでも随分と違うものだ。

そう言う吾輩も先日、ある出来事をめぐって友人を叱り、傷つけてしまったようだ。紙面をお借りしてお詫びしておきたい。どうも親密に過ぎる関係であると、ストレートな物言いになる吾輩を再認識し、大いに反省している。

日々「七の七十倍まで」と自問するジーマ船長である。
B.Rgrds by Capt.Jima

(注)シリーズ第17回は「海員」09年2月号に掲載されたものです。

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