組合略史

生い立ちと特徴

  1. 組合の結成は1945年10月、戦後の日本では初めて

    本組合は、1945年(昭和20年)8月15日の敗戦から僅か50日後の10月5日、船舶職員・普通船員の別を問わず、航海・機関・通信・事務部を問わず、また、貨物船など汽船に乗り組む船員・漁船船員・湾内や港内で働く船員すべてを組織の対象に、4万人余が参加する個人加入の産業別労働組合として誕生しました。

    それには、近代日本労働運動史における戦前の海上労働運動の経験が大きな財産となりました。

  2. 戦前の船員労働組織はどうだったか

    昭和6年、エド・フィンメンITF書記長が来日した際の記念写真

    昭和6年、エド・フィンメンITF書記長が来日した際の記念写真。前列右から浜田国太郎組合長と、エド・フィンメン書記長。船員は戦前から国際連帯して活動した。

    1. 第1次世界大戦が終わった1918年(大正7年)当時、わが国の船員労働組合は、普通船員を主体に日本海員同盟友愛会の(13,000人)を筆頭に、職能別・企業別・地域別など20以上の団体に別れていましたが、1919年には第1回ILO総会が開催(米国・ワシントン)され、また翌1920年の第2回総会(イタリア・ゼノア)では海上労働問題を専門に協議するために開催されましたが、労働者側は代表団派遣をめぐる激しい論議や、初めて欧米の産業別に組織された近代的な船員労働組合の実情をつぶさに見聞きするという貴重な体験をとおして、組織統一の機運が高まり、1921年(大正10年)、23団体・2万人の普通船員(海技資格を持たない、現代流にいえばブルーカラー船員)が参画し、「日本海員組合」が結成されました。

      この時代のわが国船員の雇用のあり方は、現在のように常用雇用制度を持つ会社は、日本郵船や大阪商船、東洋汽船(いずれも当時)など極めて少数で、大多数は乗船中のみ雇用関係(契約)をもつという、今流にいえば「期間契約型雇用」が一般的でした。それだけに、船員にとっては職務意識は旺盛でも、企業に対する帰属意識は希薄なわけで、こうしたことも要因となり「日本海員組合」も企業別やその連合体ではなく、船員個々人が直接加入する産業別組合組織として発足しました。また、運動の基本方針を「声よりも力、外観よりも内容(創立大会・スローガン)」におき、組織内部の団結強化を重点に活動しました。

    2. こうした普通船員の労働組合の創設に対し、それまで労働運動とは「一線を画す」立場をとっていた船舶職員の団体である「海員協会」も、第1次世界大戦後の海運不況による労働条件の相次ぐ切り下げに直面していたこと、先進欧米諸国の船舶職員も労働組合に加入して闘っている実情を学んだことなどから、事実上の労働組合化が図られ、日本海員組合の初代組合長には「海員協会」専務理事の楢崎猪太郎の就任を受諾するなど、日本海員組合と密接な関係を確立する方針が決定されました。

    3. 日本海員組合は発足後、ILO条約にそって海事協同会(労使協同の職業紹介機関)を設立させたり(1926年)、日本で最初の産業別最低賃金制を獲得するなど(1928年)、戦前の厳しい労働運動弾圧政策のなかでも大きな成果を上げました。

      やがて組合員数も10万人を超え、1935年(昭和10年)、当時の日本の労働組合数が993団体で組織労働者40万8,000人の時代ですから、約4分の1が船員労働者ということになり、わが国最大の労働組合に発展しました。

      しかしながら、1937年(昭和12年)の日中戦争の本格化により、日本はますます軍国主義の傾向を強め、1940年には労働組合の存在そのものが許されない状況となり、ついに解散に追い込まれます。この後、戦時労働体制の下で船員は、いやおうなく戦火の海へと駆り出され、敗戦までに6万人余の船員が戦没するという痛恨の歴史を体験することになりました。

    交渉事項
    (昭和)
    3年 4年 5年 6年 7年 8年 9年 10年 11年 12年 13年 14年 15年
    給料 31 7 30 33 31 21 23 23 27 130 18 11 5
    手当 24 11 16 34 50 50 70 73 128 155 98 79 70
    定員 5 8 30 22 23 27 36 36 37 20 24 16 6
    食料 1 1 10 21 14 5 16 17 81 29 108 16 78
    売船 17 17 7 8 14 37 22 22 13 17 24 15 9
    係船 20 17 42 57 9 13 - - 4 2 3 4 -
    遭難 10 13 15 12 19 24 8 8 12 19 7 9 5
    その他 2 2 3 15 49 56 31 34 38 42 45 35 29
    110 76 153 202 209 233 206 213 340 414 327 185 202

    戦時色の強まるなか、懸命に労使交渉を重ねる組合の活動の様子がわかる。(数字は交渉会社数)

  3. 海員組合は、わが国の労働組合のなかではユニークな産業別組織です。

    1. 戦前の船員労働組織の伝統と経験を受け継いだ海員組合は、個人加入の産業別単一の労働組合として再建されました。

      当時の記録を見ると、海員組合の場合、船舶職員と普通船員は別々に組合(産別)をつくり、その連合体にしてはどうかといった意見はありましたが、結局、より強力な産別組織にするためには、すべてを包含する組織論が大勢を占め、現在のような形となりました。戦後、新生日本のわが国では労働組合が次つぎと誕生しましたが、それらのほとんどは特定の個別企業や事業所を単位に、主として正規の従業員や職員だけを組合員として、それぞれが独自の規約や財政をもち独自に運営される組合組織でした。

      こうした「企業内組合組織」は、世界的に見ればむしろ少数で、欧米先進諸国の労働組合は、海員組合と同様の産業別組織が圧倒的です。

    2. こうして発足した海員組合は、他の労働組合と大きく違う幾つかの特徴を持っています。例えば、

      1. 海員組合は、ひとつの規約、ひとつの財政で運営しています。その後、わが国でも企業内組合から産業別に大きく団結すべきだとして多くの努力が重ねられてきました。しかしながら、多くの産別組織は、企業内組合の連合体の形態をとっており、この点で海員組合の場合と違います。
      2. 海員組合は、企業と雇用関係のない組合活動専従者による執行体制を基本としています。「執行部員」の詳細は、「機構と執行機関」の項でも紹介しています。
      3. 海員組合は、日本に居住するすべての船員(職種や分野を問わず)、これから船員職業に就こうとしている人を組織対象の基本にしています。関係する陸上企業で働いている人も組織対象です。個人加入が原則ですから、特定の企業に所属しない船員の方や、離職中の組合員も多く組織されています。また現在、海員組合に加入していない船員で組織対象者が5万人と推定されています。こうした未組織船員の組織化には特に力を入れて活動していますが、これも産別組合の特徴です。ちなみに、海員組合の場合、混乗船等に乗り組む外国人船員も一定の条件のもとで組織化を図っています。
      4. 海員組合は、産業別統一の団体労働協約を船主団体との間で締結し、組合員の賃金・労働時間・休暇・退職金など労働条件はじめ人事・争議条項などを包括的に定めています。現在、こうした団体労働協約を締結している部門は、外航・内航・大型カーフェリーの各部門です。これらの労働協約は4月1日から3月末までの1年間を有効期間として、毎年3月に賃金ほか改定要求にもとづいて団体交渉が行われます。これらの要求・妥結内容は、船主団体に加盟していない個別協約各社との交渉に大きな影響を与えます。
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