お船って知ってるよね

お船って知ってるよね

地球の面積の70%は海が占めています。それだけに「人類の歴史は海とのかかわりの歴史」ともいえるでしょう。大昔の人たちは、海を渡る手段として丸太を利用しました。丸太をくりぬいたり、丸太をたばねて筏を作ったりしました。それらが船のはじまりです。古代エジプトでは、パピルスという地方特有の植物をたばねて船を造りました。

より遠くへ、より安全に海を渡るために、さまざまな工夫をこらして大型船が造られるようになりました。コロンブスが大西洋を横断してアメリカ大陸へ渡ったのは、今から500年も前のことですが、このとき使われた船は100トン足らずの小さな帆船です。蒸気機関が発明されるまで、船の動力はもっぱら風力を利用する帆船が主流でした。航海計器といえば、「羅針盤」と太陽や星によって船位を割り出す「天測」だけでした。コロンブスの時代、地球が丸いという考えをもった人は少数で、一般の人たちは、海の果てには大きな滝があり、全ての船はその滝壺に落ち込み難破してしまうと考えていたのです。ですから、コロンブスが船団を仕立て大西洋を横断してインドを目指す航海のため、まず乗組員を集める作業は困難を極めました。港町の酒場で酔い潰れている船員や若者を無理やり船に連れ込んで、何とか乗組員を確保したという話です。

その後、蒸気機関が発明され、陸上では蒸気機関を動力とする汽車が造られました。やがて蒸気機関は船の動力源としても利用されるようになり、汽船が造られたのです。そのころ、イギリスのテームズ川で、汽船と帆船の優劣を決する競争が行われました。その結果、汽船は帆船に圧勝し、自然力に頼る帆船から機械力の汽船へと時代の流れは決定的になりました。

また、船体が鋼鉄製の船が造られるようになりました。風力から蒸気機関へ、木造から鉄製へという変化は、船の歴史にとって画期的なものでした。風まかせという帆船の航海に比べ、汽船はあまり自然状況に左右されず、計画的に船を運航することができるようになったからです。

幕末の日本に現れ「たった4杯(4隻)で夜も眠れず」と人々を驚かせたアメリカのペリー艦隊は、帆と蒸気機関とを併用した船でした。当時は蒸気機関の性能もまだ信頼性がなく、燃料も石炭でした。アメリカから日本までの往復の航海をまかなうだけの石炭の量は莫大なものです。ですからペルー艦隊の航海は、通常は帆を張って走り、無風状態のときだけ蒸気機関を使用するという方法でした。

やがて造船技術の進歩で鋼鉄製の大型船建造が可能となり、燃料も固形の石炭から液体燃料の石油に変わり、動力装置もレシプロ機関から蒸気タービン・ディーゼル機関へ高馬力・高出力化が進むと大型で高速力の船がたくさん建造されるようになりました。いまでは全長400メートル近くもあり、原油を一度に25万キロリットルも積むことができるVLCC(VERY LARGE CRUDE OIL CARRIERの略称)という超大型タンカーや、50ノット(時速93キロ)のスピードで走る超高速船も建造されています。昔むかし「再び生きて故郷の土を踏めるかどうか」といった冒険とロマンの世界にあった船舶も、現在は、多くの荷物や人員を安全に、かつ低廉な費用で運ぶことができる運搬手段となりました。こうした船舶の特性を生かし、より安全で環境にもやさしい乗り物として、今後も、さまざまな技術の発展とともに進歩発展していくことでしょう。

タンクローリー170台分を1度に運ぶ新鋭内航LPG船

いまも“現役”
沖縄のくり船「サバニ」

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パナマ運河を行く
定期航路就航船外航(コンテナ船)

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出港間近の大型イカ釣漁船

出港間近の大型イカ釣漁船はるか大西洋アルゼンチン沖に向う

離島航路で働く高速船

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タンクローリー170台分を
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