ジーマ船長

ジーマ船長の 痛快!!「船内は時化模様」

【第十一回】スペシャルリミッタンス

ブイ(浮標)とブイの間、わずか2ケーブル(約370m)。錨地への狭い水路を慎重に通過し、十数隻の巨大船をぬうようにして、西豪州のとある港の沖に予 定どおり投錨した。代理店には、2日後に入港と聞いているので、少しはリラックスできるというものなのだが…。

午後の早い時間に港外の錨地にアンカーを下ろして、船橋から静かな美しい海をぼんやりと眺めていた。こうした日は、身も心ものんびりしていたいのだが、あいにく今日は金曜日。船長にとって鬼門といえる日なのである。なぜなら日本の本社では、「早い時間に仕事を終わらせて、土・日は家族や仲間たちと楽しみたい」などと目論む連中がいても不思議はない。そこで、駆け込むようにメールやテレックスが船に押し寄せることが多いのだ。

「さて、お茶でも飲んでくつろぐとするか…」と思ったとたんであった。テレックス・プリンターが忙しく印字を始めたのである。「どれどれ、何を言ってきたのかな?」 内容は、フィリピン人操機長へ奥さんからの伝言で、「至急、留守宅に電話がほしい」というものだった。こうしたケースはままあることで、「親族が死亡した」「家族が事故で入院した」など、急にお金が必要となり、「至急、特別に送金してほしい」という要請が大半なのだ。

今回も案の定、操機長が電話をすると「奥さんの妹の亭主がなくなった。葬式をするのにお金がない。至急400ドル送ってほしい」というものだった。

操機長の月給は約1500ドルである。基本給600ドルは会社から奥さんへ毎月送金されている。乗船中の彼には、吾輩から約250ドルが支払われている。 残る650ドルは、フィリピンの彼の口座へ振り込まれている。つまり、家計は彼がガッチリにぎっているということである。

フィリピン・クルーの場合、彼のように亭主が家計を掌握しているケースが9割と多い。また、残る振込み先は2カ所ほど指定できるので、自身の口座以外に両親や兄弟、はては従兄弟など多方面へ分散して送金している者も少なくない。

ちなみに吾輩はというと、これとはまったくの逆で、全額家内の口座に振り込まれて、その都度必要な額をいただくという、管理システムに組み込まれている。読者は多分「気の毒に」とお思いだろうが、財政管理を日常とするわが身には、家計を全権委任できる安らぎは何ものにも代えがたく、家庭は至極円満、しあわせなのである。
おっと、話を元に戻そう。

機関部メンバーの中に件の操機長がいる。さて、誰でしょうか?

機関部メンバーの中に件の操機長がいる。さて、誰でしょうか?

彼らが住むフィリピンの片田舎では、1カ月200~300ドルで家族4人が裕福に暮らせるという。彼は生活費の倍額を毎月送金しているわけだから、日本人 感覚であれば月々300ドルの貯金できる計算になる。 急な出費でも特段問題なかろうと思うのだが、彼らの常識の中に日本人には入り込めない世界があるよ うだ。

それはどうやら、日本人には想像できない堅固な親戚関係(ファミリー)が大きく影響していて、「富める者は貧しい者へ施す」とのルールが徹底されているの だ。

例え話をすれば、F君の遠い親戚にAさんがいた。彼はF君が外航船で稼いでいることを、ファミリー・ネットワークで聞きつけたとしよう。AさんはF君宅を訪ね、奥さんに堂々と、しかしちょっと控えめにこう言った。「今、仕事にあぶれていて(田舎では常時失業中と考えてよい)、家族を食べさせていけない。(親戚)遠縁のよしみでいくらか恵んでくれないだろうか?」。こう言われた奥さんは、何がしか(50ドルくらい)包むことになるのだ。

Aさんは、こうして親戚中を渡り歩きながら、その日暮らしをしているというわけだ。

こんな親戚が多ければ毎月の支出もかなりの額になり、生活費より倍額の送金でも貯金に回せない事情が良く分かる。村の高額所得者のF君だが、その実、余裕はないのだ。そこに兄弟の病気入院、親戚の葬儀と続けば、600ドルの送金でも賄えないのである。

このような時に登場するのが特別送金(SPECIAL REMITTANCE:SR)。フィリピン・クルーの大半はシブチンだ。吾輩が手渡す月給はしっかり貯め込んでいて、寄港地で上陸しても、お菓子を買ったり、公衆電話代ぐらいしか使わず、あとはしっかりにぎっている者が多い。そうした虎の子を前述のような緊急時に、会社経由で特別送金できるシステムがSRなのである。訃報や傷病などの特例に限って会社が認めるものなのである。

のんびりとお茶を飲んでいる場合ではなくなった。彼にSRシートを渡し、400ドルの送金理由と銀行口座名を書かせた。こうしたケースは年に数回しかない。慎重にチェックして、OKEY!!

SRシートに《URGENT》をマーク、スキャンしてメールで送信。これが一番確実なのである。数十分後には会社から、「フィリピンのマンニング会社へ送金手配した」との返信メールが届いた。

操機長はさっそく留守宅に電話を入れたのだが、うまくつながらない。片田舎の彼の家には有線電話がなく、携帯電話を使っている。これが時につながらないこともある。翌日になってようやく奥さんと連絡がとれ、彼はほっとしたのであった。

経済大国日本との為替比較では、たかが4万円」だが、されど400ドルなのである。ここにもお国事情の現実がある。
B.Rgds by Capt.Jima

(注)シリーズ第11回は「海員」08年8月号に掲載されたものです。

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