ジーマ船長

ジーマ船長の 痛快!!「船内は時化模様」

【第八回】鉄のおきて

吾輩とて一夜にして船長になったわけではない。22歳で某社の外航船に四航士として乗船して以来、ずっと諸先輩を見ながら育ってきたのである。この人は尊敬できる。否、この人は値しない。自からが船長になった暁には、こんなやり方は絶対しない、などといろいろ考えて今日がある。

思い起こせば、原油タンカーへの乗船機会が多かったが、概してタンカー乗りに変人はいなかった。というか、尊敬する先輩が多かったことを思い出す。そうした人たちと接し育ったことは、吾輩の人間形成にとても大きな財産になっている。

混乗船に初めて乗ったのは、ちょうど25年前の二航士の時だった。その頃から気になっていることが一つある。それはフィリピン・クルーのことで、彼らが非常に時間にルーズなことである。最近は随分改善されてきたようだが、一つ例えれば、入港スタンバイで非直の甲板手を起こしてもブリッジになかなか来ない。 30分も経ってようやくやって来る。それも安物の石鹸の匂いをプンプン振りまきながら、やって来るのである。

港はもうすぐそこである。思わず「今まで何やってたんだ!」。答えは簡単明瞭、「シャワーを浴びてたんだけど、悪いですか」。これが彼らの生活習慣らしい。今では、スタンバイ前にシャワーを浴びるクルーはまずいない。船乗りには、日本式スタンバイ(電話で起されたら、顔を洗って、すばやい仕度)が理にかなっている。そう彼らが理解した証であろう。

活気と融和にあふれる船内は、明るい笑顔が絶えない

活気と融和にあふれる船内は、明るい笑顔が絶えない

船長になったのは2002年である。船長になったらああしよう、こうしようといろいろ胸に秘め、温めていたことを実現したいと今でも考えているが、これがなかなか難しい。

机上の論理と船上の実践には大きな乖離があるのである。十人十色のフィル・クルーなので、このギャップを埋めるのが容易ではない。だが、吾輩はネバーギブアップ。先輩たちの教えをベースとして、確固たる規範を培ってきたつもりだ。船長として、時の状況に即応しつつ修正を加えながら職務をこなしているのである。

船は、きちっとした時間と予定に従って動いている。このきっちりさが崩れルーズになると、船内の士気はがた落ち、ムードも険悪なものに変わっていく。船乗りなら誰しも、初めて乗船して舷門に立った時に、その船が活気にあふれているか、沈滞気味か、だいたいわかるものだ。少なくとも吾輩が乗る船は、活気に満ちあふれるものにしたい。そのために吾輩は、「鉄のおきて」と呼ぶルールを振りかざす場合もある。

笑われるかもしれないが、これは効果的だ。吾輩が唯一、順守させる鉄のおきては「食事時間を守る」である。

食事は船内生活で一番の基本だが、フィル・クルーは船長の様子を伺いながら「早飯」をエスカレートさせてくる。彼らは船長が交代した時がチャンスとばかり、まず2、3分早く食べて様子を見る。おとがめなしであれば5分前、やがて10分前へと次第にエスカレートさせるのだ。昼食や夕食を「早飯」にすれば仕事時間が短くなり、フリータイムが長く取れるからである。

某船の昼食時、吾輩が正午ピッタリに食堂へ行ったところ、ほとんどのフィル・クルーはすでに昼食を終え、フルーツをほおばっていた。5分過ぎにやって来た機関長は、もはやフィル・クルー全員が昼食を終えていたのだ。吾輩が「いつもこんな感じですか」と聞くと、「前の船長がまったく気にしない人だったので、こんなもんですよ、いつも」と言った。これはまずい。

一事が万事とは言わないが、前任者は整理整頓も気にしない人のようだった。船長室の隅には糸くず玉がたまっていた。メスマンも掃除の時に気に留める様子もない。事務室は乱雑に書類が置かれていた。だいたい吾輩が乗船した時、舷門でのAB(甲板手)の対応にもルーズな雰囲気が漂っていた。

よ~し、鉄のおきてだ。チーフコックを呼んだ。「通常の航海中は、決めた食事時間を厳守させよ。昼食開始は12時だ。1分前にクルーが来ても絶対食事を出すな。クルーには『船長命令だ』と伝えよ!」。

きっとクルーたちは、「今度の船長は小うるさいぜ。たまらんなー」と言っているに違いない。だが、きちっと時間に食べることは大きなメリットを引き出した。フリータイムは13時までだから、誰もが早く食事を済ませ、部屋でゆっくりしたいものである。そのためクルー全員が12時ジャストに集ってくる。昼食をみんなで食べるようになって食堂の雰囲気が一変したのである。

以前はバラバラで会話がなく暗かった。今はカタフリながらの食事でグッと明るくなった。甲板部と機関部の連帯感もでてきた。やっぱり食事はみんなで食べた方がうまいのだ。うまければ楽しい。楽しければ仕事も上手くいくわけで、善の相乗効果というのだろうか、船内に活気があふれてきたのである。これ、ウソのようだが本当の話。吾輩の鉄のおきては、船内融和を引き出す打ち出の小槌なのである。

吾輩が船長を拝命した当時は、かなりの入れ込みようであったと回想する。そんな吾輩も船長経歴6年目を迎えて、脂が乗ってきた頃といえようか。だが、こうした言いようを含め「驕る思いも無きにしも非ず」。

船長は統括責任者である。船長の言葉は船内の法律であり、基準であり、賞罰も行使できる。ある意味、小さな国ともいえる船内で、ともすれば「独裁者」にもなりかねない立場である。初心に戻って、「笑いでごまかし、他人を追及」の逆に努める吾輩のこの頃である。
B.rgds by Capt. Jima

(注)シリーズ第8回は「海員」08年5月号に掲載されたものです。

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