ジーマ船長

ジーマ船長の 痛快!!「船内は時化模様」

【第七回】メキシコ沖の三角波

今回は一昨年(2006年)10月、吾輩率いるコンテナ船がホンコンを出港し、北太平洋を一路バルボア港(パナマ)向け航行中に遭遇した時化の様子をお話しよう。

現代の外航船は、e-mailによる「気象予報システム」を利用している。1日2回、鮮明な気象データが送られてくるのである。それによって全世界の気象状況が10日間にわたってチェックできるという、極めて優れた仕組みなのだ。

北太平洋航行中は、この気象データを配信している会社から随時送信される。さらに、状況解説や本船の最適ルートについてもアドバイスが受けられる契約が結ばれているのである。

バルボア入港の4、5日前のことだった。突然、「貴船は今、バルボア向け航行中ですが、明後日より貴船の針路上に低気圧が発生し、大時化になることが予想されます。航程は長くなりますが、針路を東へ(北米国大陸側)向けることを進言します」とのメッセージが送信されてきたのである。

現在位置は、緯度にして赤道無風帯に近づきつつあり、ベタ凪である。鏡のような海面をスーイスイと滑るように航行していた本船には、まさに寝耳に水だった。

「すでに決められているパナマ運河の通狭開始時間には余裕がある。航程が多少延びようが、仮に時化に遭遇してスピードが落ちたとしても、さほどの問題にあらず。突発的に発生する低気圧以外ならば心配ない。たとえ突発性といえども、事前に何らかの兆候が必ずあるはずだ」と、今思えば高をくくっていたのである。

件の気象予報システムによれば、明後日になると針路上の等圧線の間隔が南北に狭まり、北北東の風30m/Sが突然吹き荒れる。波高は6mと予測され、大型船でも予断を許さぬ大きさだ。しかし、このシステムも時々大外れすることもあり、絶対の信頼はおけない。ましてや現在の凪の様子からは、想像し難く判断に迷う状況だ。

慎重かつ大胆をモットーにする吾輩は、一応、チョッサー(一航士)にコンテナのラッシングを、チェンジャー(機関長)には機関室内の整理と機材のラッシングを厳重チェックするよう指示。加えて大時化が予報システムどおりであった時のために、針路を少し東へ向けることにしたのである。

大時化が予報された日の前日、時化の兆候なんぞまったくない……。12時間前、曇天であるものの、ぜんぜん変化なし……。6時間前、ん? ちょっと雨まじりの風が強くなってきたなー……。3時間前、突然に、本当に時化てきたのだ。北寄りの暴風雨、時化だ。「こんなことってあるかよ?」送風機の前を過ぎるとき、顔に当たる猛烈な風、そんな感じであった。

波浪は大きく育ち、波頭が強風に煽られ通常の緩やかな曲線を描く並みのものではない。大型船も船体損傷・沈没につながりかねない一番やっかいな三角波がやってきたのだ。

即断即決!! 「バラストを一杯に張ろう。足(喫水)を沈めるのだ」。予報システムが推奨したメキシコ沖へ向かうことに決めた。「さらに東へ変針せよ」。突然の気象・海象の変化にブリッジは騒然、クルーの動揺はいなめない。

チャート(海図)上で、本船から東方のメキシコの陸地を見ていたら、突然の時化の訳が発見できた。その一帯は山々が大きく連なっていて、ちょうど本船の横あたりは、谷状の地形が海に向かっている。風の通り道のようだ。ハーフパイプのような地形から強風が海へ吹きだしているのだ。それに、この海域は数日前から低気圧が停滞していて、南からの強風が波浪を大きくしていた。そこへ覆いかぶさるように吹き付ける北東からの突風が、三角波を発生させているのだ。

手の甲の皮を指でつまむと分かる。このしわが三角波といえば分かってもらえるだろうか。ただし、これは地形的なトラップを脱出すれば収まるはずだ。

当直者にその旨説明し、「大丈夫、安心しろ。この時化は長く続かない。35m/S以上の風になったら知らせよ」と言い残して、10時間の指揮をとったブリッジを離れ、吾輩はぐっすりと寝込んだのであった。

大時化を凌ぎ切りバルボアに到着。ジーマ船長は、パナマ運河通峡も大西洋側クリストバルを出るまで連続した指揮が続く

翌朝起きると、予想どおりベタ凪だった。昨日の三角波は何だったのか。太平洋メキシコ沖のかなりローカルな海域だが、気象予報システムが鋭敏かつ的確にデータを分析し、アドバイスしたことが驚きだった。この種の予報システムは、ここ数年で確実に進歩し、確率が格段に上がってきている。人工衛星からのデータ解析を行うコンピュータ能力が向上したためと考えられる。

一昔前の日本近海では、気象庁が配信するファックスが有用で、他の海域は各国のファックスを利用していた。しかし、赤道近辺やインド洋南部などの海域は、付近に主要国がなく、気象データがあっても使用に耐えられなかった。こんな時どうするか? 気温・海水温・気圧・雲の状態などの変化を読む、昔ながらの観天望気に頼るほかなかったのだ。現代は、人工衛星からのデータを解析する気象予報システムの開発のおかげで一変、船の安全航海を支えているのである。

大時化の予報に始まり、両面対処のオーダー、備えあれば憂いなし、「大丈夫!!」の一言で当直者も一安心――。メキシコ沖航海の10時間は、そんなこんなで、吾輩とクルーの信頼関係は富に深まり、強固なものになっていったのである。
B.rgds by Capt. Jima

(注)シリーズ第7回は「海員」08年4月号に掲載されたものです。

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