ジーマ船長

ジーマ船長の 痛快!!「船内は時化模様」

【第三回】にっこにこ給料タイム!!

吾輩の同胞、フィリピン人クルーにとっての一番の楽しみは、「自らが働いた1カ月間の労働対価を現金で受け取る」。待ちに待った給料の支払い日であろうか。しかし、船長の吾輩にとっては、これまた面倒な仕事でもあるのだ。

支払いは、米ドルによって行われる。薄青いお札は、見慣れた日本札と比べると子供銀行券のようにも見える。印刷が粗悪で紙質も良くないのだが、「In God we trust(私たちは神を信じる)」なんぞと洒落た言葉が書かれている。小さくて大きさが同じの米ドル札を間違えずに数えて支払わなければならない。とても重要な仕事だが、手間のかかる作業なのである。

給料の支払いは、毎月末の適当な日に、台帳に従って行うのだが、これまた、現代外航船船長のメーン作業の一つでもあるのだ。

船長になって6年、この作業をもくもくと続けている吾輩は、前に乗った船からちょっとした演出を加えたのである。彼らにとって絶大に楽しい給料タイムだが、吾輩にはただの紙切れの引き渡し作業にも等しい(失敬!)。まったくもって楽しくないのだ。これを何とか楽しいイベントにできないものかとジョギング中に思案を重ね、ついに閃いたのであった。

給料日は、船長が月末の適当な日を決めて支払うことになっている。20日でも良いし、30日でも良いのだが、最近では会社の経理上の都合が優先するようになった。会社へEメールで報告しなければならない船用金報告書の期限が月末必着となったのである。そこで、今ではどの船長も25日前後に支払うようになったようだ。

全員ブリッジに集合、本日は給料日

クルーは走る 走る!!

さて、件のイベントに話を戻そう。まず吾輩が給料を支払う旨の船内放送を行う。クルーは、ぞろぞろと船長室やブリッジなどの公室へやって来る。その時、最初に来た者から12人(本船の約半数)に何がしかの景品をプレゼントするのである。

子供だましのような物でも、ロハで頂戴できるのはうれしいものだ。彼らが大好きなチョコレートや1ドル・ショップの香水(これが意外にうけた!)、ビタミン剤などを給料に添えて渡すのである。彼らのうれしがる顔を見るのも楽しいし、船内放送に俊敏に反応するようにもなった。ミーティングの集合などもフットワークが格段に良くなり、予期せぬ収穫に吾輩はとても満足している。

しかし、学習能力も時にマンネリを促す。最近は彼らも心得たもので、そろそろ給料日だな?という日を予測するのだ。時間も昼休みが多いことから、船長室近くの部屋で待機する輩まで出てくるようになった。

これでは面白くない。そこで吾輩は彼らの裏をかくことにしたのである。船長室や船橋をやめ、スポーツジムやレクルームに突如支払い場所を移す。当てが外れたクルーたちは船内を右往左往、さながら運動会と化したのである。

先月は演出をさらにエスカレートさせ、アナウンスに「諸君、場所は言わない。君たちが見つけてくれ!!」を加えてみた。これを「かくれんぼ方式」と命名したが、ケガ人を心配するほどのはしゃぎようであった。

端艇総連、総員は位置につけ!!

その様子は、筆舌に尽くしがたい。吾輩は息をひそめて、笑いを堪えるのに必死の態で、すこぶる楽しんだといえよう。

カウンターバーがあるレクルームBのカウンターの中に隠れるため、船内放送をバーの電話からしたのである。階段を駆け下るクルーの足音がすさまじい。タガログ語の会話であってもおおむね察しはつく。「おーい、みんな、ジーマ船長は船橋とこのデッキ(Bデッキ)にはいない。下だ!下を探せ!」。

しばらくするとまた2・3人の足音がする。出遅れた連中だ。彼らにチームワークはなさそうだ。会話がない。一段落して気配が途絶えると、吾輩は再び受話器を取った。「おーい、どこを捜しているのだ。吾輩は待ちくたびれたぞ!!」。

カウンターの中から出て、止まり木に腰かけた。待つこと数分、出遅れクルーがレクルームに入ってきて、吾輩を一番に発見し歓声をあげた。それを聞きつけた数人が雪崩れ込んできて騒然。しばらくすると、息を切らせた一団が入ってきた。わけを聞くと、5・6人で船尾にある操舵機室までチェックに行ったというのである。

うーん、吾輩はそこまで底意地が悪くないのだが…。

今回の1位の品は米国で仕入れたCDラジオ。ゲットしたのは、いつも要領が悪くレクリェーション大会でも、一度も大きな賞品を当てたことがない若い甲板員であった。不運が続くクルーの手に渡って、吾輩は今回も大満足であった。

というわけで、最近はフィリピンクルーとの「かくれんぼ(Hide&seekというらしい)方式」のイベントで、面倒な給料支払いを楽しみに変えたジーマ船長である。
B.rgds by Capt. Jima

(注)シリーズ第3回は「海員」07年11月号に掲載されたものです。

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